農薬・化学肥料について of GREEN WAY Ina.Nagano

農薬と化学肥料

農薬や化学肥料の歴史は意外と浅く、昭和35年以降から使われるようになったと言われています。経済成長に伴い農家の働き手たちは、農地を放り出して都会に金を稼ぎに出かけて行くようになりました。働き手を失った田畑は、もっとも大切な堆肥を返してもらえなくなり、土は痩せる一方です。そして、ここに登場するのが、化学肥料です。
 植物を分析してみると、窒素、リン酸、カリウムが多量に含まれていることがわかります。科学者たちは、こういう物質を与えれば作物は育つのではないかと考えました。試しに化学肥料を作物に与えてみると、実に見栄えのいい立派な作物ができました。化学肥料を撒かれた作物は確かに大きく立派に育ちましたが、実は、ただ一つ一つの細胞が膨れ上がっただけだったのです。細胞の数自体は、それまでと一つも変わらなかったのですが、それを、立派なものができた、収量が増えたと勘違いし、農民たちは化学肥料を素晴らしい魔法の肥料と思ってしまったのです。しかし、立派な作物が取れるのは、土が元気な最初のうちだけでした。すぐに病気が発生しはじめ、それと同時にいろいろな農薬が必要になってきました。国の農業関係の指導者たちは化学肥料の素晴らしさを説き、農民たちは化学肥料の毒性を知らされないまま、化学肥料を高い金で買わされていたのです。
 そもそも、化学肥料が何からできているか知っている人がどのくらいいるのでしょうか。
化学肥料の原料は工業廃棄物です。工業廃棄物の処理に手を焼いた人々は、そこから化学肥料を作ることを考え出しました。つまり、農家から化学肥料を買う金を取り、代わりに彼らが守ってきた農地に工業廃棄物を捨てさせたのです。農薬についても、その毒性を直感的に感じたのは農民たちであったはずです。農薬を散布して、体の変調を真っ先に感じたのは、散布した本人であったはずです。今では、農薬の毒性だけはどうやら悟り、自家用の野菜だけには農薬を使わない農家が増えています。何はともあれ、国や指導者や大学の先生たちの言うことを信じた農民たちは、勤勉に農薬や化学肥料をまき続け、やがて日本は、単位面積当たり投下量世界一の多肥多農薬農業を確立することになります。

農薬や化学肥料は川や海まで汚す

 化学肥料は、土に撒くとすぐに水に溶け、植物に吸収されてしまいます。化学肥料は昆虫や微生物の食べ物にならず、彼らは命を絶たれてしまうことになります。彼らが死滅してしまうと、土が痩せてしまうので、生命力にあふれた作物ができなくなり、出来るのは命のない作物ばかりということになってしまいます。
 このあたりから、人々は農薬を使い始めます。弱った野菜は病気や虫がつきやすくなります。すると、人々は毒性の高い殺虫剤や毒ガスである土壌くんじょう剤を土の中に打ち込み、またまた昆虫や微生物の皆殺しをやってしまいます。そればかりではなく、一本の草さえ許すまじとばかりに、これも毒性の高い除草剤に手を出してしまいました。草こそが、土を豊かにしてくれるものなのにです。
 ここに出てきた農薬は、すべて発ガン性物質です。これらは残効性も高く、土や作物に浸透し、最終的に人間の体内に入って蓄積されていくものばかりです。野菜をいくら洗っても、決して落ちないのです。人の死因のトップが、なるほどガンになる訳です。特に除草剤やホルモン剤には催寄性もあります。このところ、新生児の死因のトップが奇形のよるものであるのは、あながち偶然ではないでしょう。また、日本の農薬や化学肥料の認可の甘さには世界的な定評があり、海外では、わざわざ金と時間を使って動物実験をしなくても日本が国をあげて人体実験をしてくれているのだから、じっと見ていようという話が、学会で笑い話としてでている程だと言います。
 化学肥料や農薬は、土の循環を壊しただけでは終わりませんでした。土に多量に撒かれた化学肥料や農薬は水に溶け、ある時は雨に流され、地下水や川に入りこみ、窒素、リン酸、カリウムを多量に含んだ水になってしまいました。すると、それを食べて浄化しようとするコケが川の中に増えていきます。コケが増えすぎた川の中は酸素不足になり、コケが死に絶え、ヘドロとなって異臭を発散し、それが毒ガスを発生させるため、魚の住めない死んだ川になってしまったのです。化学肥料と農薬は、水の命までも巻き添えにしてしまったのです。このままでいくと、あとわずかな時間で自然のサイクルは修復不可能になってしまいます。それは、人間が住める環境が終わることを意味しています。地球に住む人類全体としての意識革命が起こらない限り、破滅に向かいつつある人類の運命もまた、変えられないでしょう。みんなが心から農薬をなくしたいと思った日に、農薬は姿を消します。地球の未来、人類の未来はあなたの心にかかっているのです。

赤峰勝人「ニンジンから宇宙へ」参照